この5年半は、長谷章宏の世界を完全に封印されたまま、 不本意ながらも法的責任を果たすことしか許されない環境の中、 精神的にも肉体的にも自由を制限された極限状態の連続でしたが、平成28年9月8日10:00頃、仮釈放されて 無事、社会復帰し、ようやく記事を書くことができる環境になることができました。「完全復活」(刑期満了)は3ヶ月先ですが、現在の立場(仮釈放の遵守事項)の関係上、許される範囲で「TLC長谷章宏OFFICE」を再始動します。
直接発信不能の5年間は、長谷章宏のこれまでの人生で最大の「危機」であり、また、長谷章宏の今までのすべてが
試される場でもありました。言葉ではとても言い表すことのできない困難な体験の連続で、幾度かの「生命の危機」も
ありましたが、ぎりぎりのところで何とか乗り切ることができ、無事、帰還することができました。長谷章宏解放の瞬間、
それまで快晴の空が突然、豪雨と雷に変わったのですが、これは、この先に待ち受ける何かの暗示でしょうか。
5年間のダメージは想像以上に激しく、回復のためにしばらくはゆっくりと休みたいところですがそうもいかないようで、
この1ヶ月半は、5年間のギャップを埋めるべく、この5年間の体験の整理、日常生活と情報提供システムの立て直し
の作業に追われていました。
以下は、当時、長谷章宏の世界を封印されたまま収監前の極限状態で書いた、長谷章宏親子の魂の叫びです。結局
は、長谷結理裁判の事実を黙殺されたまま約5年間収監されることになりましたが、長谷結理裁判とは何だったのか?
長谷章宏親子がどれほどの極限状態だったのか? そして、真実を貫き通すとはどういうことなのか? を知って頂きたく、
当時の原文をそのまま公開しておきます。
表面上、過激な文面にならざるを得なかった声明文の裏に込められた、この「緊急声明」を出さざるを得なかった当時
の状況と この声明文の裏にある真意を汲み取って頂ければ幸いです。
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「長谷結理事件」における裁判所並びに検察庁の『ルールなき』暴挙
を即刻中止し、長谷親子の即時完全解放を実行せよ
この声明は、不本意ながらもルールに従い、真摯に全身全霊で、存在そのもので真実を語ってきた長谷親子を無視し続けたすべての者が書かせた遺書である。
『平成23年6月16日(木)午前9時30分 両名は、京都地方検察庁に出頭せよ。』
日本国が誤りを認めない限り、被告人が何を訴えようと、今度は意見を聞かずに強制執行する積もりであることは可能性として考えるに固くない。しかし、本公判は、無罪推定の原則を無視した裁判官の観念に固執した有罪ありきの証拠調べ、『原因はともかくとして』の一文での被告人の公判供述の否認など、争点である「原因」「被告人の認識」の検討を巧妙に回避して、国家総ぐるみで自らと組織の延命に証拠を悪用した「不当起訴」隠蔽のための裁判であり、検察と裁判所の生き残りのために結理、結理花、真由美、章宏の4人の命、人生を極限までズタズタに破壊し続けている究極の暴挙は今この瞬間も継続中である。究極の国家権力濫用の現行犯であるだけではなく、霊の世界や想念の話以前の、法律の悪用を含む裁判=司法制度崩壊の決定的証拠を隠蔽する裁判でもある。
被告人、代理人提出の上申書を「十分に検討した結論」だと言う再度の呼出は、明らかな事実誤認のまま、検討も修正もすることなく確定させた判決を根拠とする収監命令であり、裁判所によって意図的に抹殺された被告人の事実を訴えたとしても、検察庁執行官の言い分は、「ルールだから」の一点張りであり、『「ルールだから。」「裁判所の判決だから。」従ってもらわなければならない。事情はわかるが「ルールだから」。』である。被告人が出頭できない理由自体を裁判所が否認した判決が根拠である限りは、被告人の主張が事実であっても検察はこの理由を盾にして強制執行を強行することができる。事実、被告人のイレギュラーな行動を封殺するために、強制執行のカードをちらつかせ、なんとしてでも出頭拒否を回避しようとしている。しかし、実際には被告人の主張が事実であって、理不尽な否認をしたのは裁判所であるから、裁判所の決定だから被告人の事情は聞かない、という態度に固執し、それがまかり通るならば、人命よりも、組織や司法システムの命が重いということになる。被告人は事実を訴え続けるしかないが、検察は執行の日まで「放置」し先延ばしにすれば、「ルール」を根拠に強制執行をすることができる。しかし、呼出状交付の自宅訪問の際に、執行官が実際に現場を見ているにも拘らず、被告人の訴える事実が現実になる可能性を全く考えないのならば、それは、長谷親子の命よりも検察の延命を選択したことを白状したことになる。「ルールだから」という理由で、不当判決を根拠にした強制執行を強行するのは、明らかに意図的な「虐殺行為」である。
事実誤認の修正をすることなく進められた公判。裁判手続き、裁判の原則に照らせば「無罪」の公判。検察が立証責任を果たしていないにも拘らず、裁判所は漫然と検察の主張を採用した。刑事訴訟手続き違反。判決理由にある事実認定は明らかな誤りであり、誤った事実認定を根拠にした「主文」は無効である。
被告人は、不本意ながらもルールに従って、最高最大の立証をしてきたが、事実誤認の判決を正さず、裁判の原則、ルールを無視した裁判所の命令の執行を強行しようとする検察は、被告人の現状を無視し、「ルール」を根拠に、事実誤認の判決に基づく収監を強行しようとしている。被告人としては、明らかな事実誤認、というよりも、実刑の主文にするための事実の歪曲による「悪意に基づく事実認定」を根拠として作文された、被告人の事実不在、いや、裁判所に不都合な事実を巧妙に隠蔽した、詭弁を駆使した「裁判所の決めていた結論を論証するのに都合が良い事実認定」に基づく判決理由の帰結として下された意図的な判決、実刑の主文が先にあって理由を後から作文した自己矛盾だらけの不当判決を根拠にした理不尽な収監は到底受け入れられない。故意に依る犯罪どころか、無罪の被告人を逮捕起訴した警察と検察刑事部、裁判の原則を無視した実刑ありきの裁判を進行した裁判所と検察公判部、そして、不当判決をそのまま確定させた裁判所決定を根拠に収監を強制執行しようとする検察執行係と法務省。司法機関総掛かりの、ルールなき裁判の判決による収監命令である。被告人を抹殺すべく法律濫用の極致の「ルール違反」を意図的に続行している。
裁判所の決定の真相がすでに暴露されている段階においてもまだ、被告人の命を蔑ろにしていることを省みずに問答無用で刑務所への収監を強行する目的は唯一つしかない。法律を根拠に強行しようとしても、裁判所が意図的に事実を歪曲していることが明らかになった現状では、被告人が自らの命を危険に晒す行動を選択しないことを批判できる者はいない。被告人は、前回の呼出状に対してルール通りに誠実に「出頭できなかった理由」を回答したが、被告人の「遺書」に相当する上申書での訴えを却下し、再び呼出状を交付したことは、その内容に対しての検討が真剣に行われているとは到底言えず、被告人の命よりも、自らの組織の延命を選択した結果である。命の尊厳を扱った裁判を運用した検察と裁判所の究極の自己矛盾であり、命を蔑ろにして、オモチャにしているのは、それを論告の理由にした検察と、それを採用した裁判所の側であることは明らかである。これは、被告人からみれば悪魔の所行である。ここまでの扱いをされて、なぜ、被告人が素直に従わなければならないのか。検察の選択が被告人にとっての「死刑を超えた極刑」であり、その時が迫っている緊急事態の今、現実に一刻の猶予もならない緊急事態であることを、このような形で一方的に書かせてもらうしかない。これは被告人の緊急事態の現れであるが、このこと自体を意図的に無視することは想像に固くない。もはや、ルール通りの書面、対応では聞く耳を持たないということなので、このような声明となった。
被告人が何を言おうとも「ルールだから」「裁判所の命令だから」を根拠に、現実に起きていることを確認しながらも無視して、明らかな人権侵害を強行するならば、警察、検察も裁判所と同罪である。実刑にするために判決文を捏造した裁判所、収監命令の執行を強行するために被告人の現状を意図的に無視した対応、「わかるけれども、受刑してもらわなければね。法律できまっているから。裁判所が出した判決だから。」を繰り返す検察。「わかるけれども、我々に言われてもね。」「わかるけれども、受刑してもらうしかない。ルールだから。」の一点張りの、第一審の法廷でのやり取りそのままの検察執行官の態度。司法機関自体が、人権侵害の現行犯であり、憲法違反の現行犯であるが、このことをあくまでも認めないというならば、それは、『裁判所が認めない限り、それは憲法違反ではない』という、司法を崩壊させる行為、つまりは裁判所の判断が憲法になってしまうということである。言い換えれば、裁判官の思惑が憲法に優先することになる。誰が見ても「事実歪曲の判決」であるから、それを強制執行しようとする裁判所と検察は司法システムの崩壊を自ら進めていることになる。
意図的に有罪にしたことが明らかな事実が発覚した状態での収監の目的は唯一つ。検察の起訴事実が無かったにも関わらず、実刑を維持する意図は何なのか。
本公判の不正並びに本件の特殊性についての情報を公開したにも拘らず、裁判所、検察庁、政治家、マスコミ、その他、未だに、誰一人として被告人の訴えに耳を貸そうとしない。この事実は、本公判の「リーク情報」に触れた全員が、被告人に対して裁判所や検察庁と同じ扱い、すなわち、被告人並びに被害者とされている結理、結理花の命を意図的に抹殺していることを意味する。それは、事実として、被告人に対する論告求刑公判での検察官の求刑理由以上の仕打ちを被告人に対して「国家総ぐるみで」意図的にしている現行犯であり、死刑を超えた極刑に値する「意図的な虐殺行為」である。被告人は出来うる限りの事実の立証を「ルールに従って」素直にしてきたが、人道的見地からも、人間心理としても、もうこれ以上、なきがごとくの「ルール」に従う理由がどこにあるのか。被告人にとっては、死刑判決以上の極刑、国家、国民総ぐるみでの拷問状態にはもう耐えられない。被告人はこれ以上、自らの命を削ってまで「ルール違反」をしていることを認めない裁判所と検察のルールに従う理由はない。
出頭日までにしかるべく対応をしないならば、被告人側もしかるべく対応をすることにならざるを得ない。これは、国家に対する反抗でも、感情的な反応でも、受刑からの逃亡でもなく、すべてを検討しつくした結論である。言い換えれば、逮捕以来の二年半の、被告人の訴えに対する国家機関の処遇がもたらした、被告人自身の生存を維持するために取らざるを得ない究極の選択である。
日本国憲法を意図的に歪曲解釈し、生存権の究極の侵害をし続けているのは裁判所、検察庁であり、その事実を知りながら見て見ぬ振りをしているマスコミ、有識者を始めとする日本国民全員も同罪である。被告人は、決定に素直に従おうと努力し続けてきたが、被告人の主張したことが事実である限り、自らの現状と「ルール」との狭間で苦しむことをもはや選択する猶予は無い。従って、逮捕以来の国家機関によるこれまでのすべての対応を吟味し総合した結果、被告人はもうこれ以外の選択肢は持ち得ない。この選択に対し、さらに強行手段を実行しようと考えるかもしれないが、被告人は被告人自身の命の方を選択する。被告人にこの選択をさせたのは日本国であるから、被告人がどのような行動にでようとも責任は問えない。裁判所に提出した証拠資料が被告人のすべてであり、それを真摯に検討すれば超法規的措置を発動するしかないはずである。
被告人は公判において十分に説明責任を果したにも拘らず、その事実を歪曲したのは日本国の方であり、それを知りながら無視している国民の現状を前にしては、被告人はもうこれ以上、説明するつもりも、議論するつもりもない。ここに至っても、被告人を現状のまま「放置」している現状では、司法機関が被告人に主張しているごとく、被告人にとってのルールは被告人そのものである。
日本国は、ぎりぎりの状態にある被告人の現実を認めずに、不正が明らかになった意図的な裁判を維持し続けていることで被告人をここまで苦しめ続け、この文書を書かざるを得ない状態にまで追い込んだという事実を重く受け止めて、改めて、真摯に真剣に「長谷結理事件」をゼロから見直し、誤りを認め、しかるべき処遇をすることを強く求める。日本国が被告人が終始一貫訴え続けている本当の事実を無視し続け、収監の圧力をかけ続ける限り、被告人の状況はますます悪化し、先延ばしにするほど命の保証はないことを改めて宣言しておく。これは脅しでも弁明でも命乞いでもなく、被告人にとっての唯一の事実である。
第一審の公判の判決文は、誰が見ても事実誤認が明らかな事実認定を根拠にした判決主文であり、主文がまず先にあって、公判証拠を使って辻褄合わせをする作文をしたことは明白である。判決理由の根底に流れている「被告人供述が信用できない」根拠の根拠である被告人の証言と物証(写真)は一致している。
「骨と皮だけになった結理をみて涙を流した」のに犯行を否認するための言い訳に霊の話を使った、誇張している、荒唐無稽だ。。。という詭弁で自らの間違いを否認するための事実歪曲を維持するための論理を固持する。『犯行を否認するために誇張した表現をしたから、他の証言は到底信用できない。だから証拠として取りえない。だから、検察官の起訴事実を採用し、情状を考慮して減刑した上で、実刑にした。』霊の影響の一文を入れることで証言を汲み取ったポーズをした明らかな証拠歪曲の事実を唯一の根拠にした砂上の楼閣の主文である。
『「到底」信用できない。。。』被告人の他の証言が「事実」であるからこそ、それを採用すると、被告人の事実を認定することになり「無罪」にしなければならなくなる。『それは、起訴した検察のメンツと本事案における裁判所の判例としてはふさわしくないから、それはあってはならない。こまる。』どうするか。。。『だから、信用できない。。』被告人の事実証言を否定するための策略として、『「到底信用できない」という結論にするため』の論理を作文した。信用できないと言うために一番効果的な、【ミイラ化】のメモを利用して被告人の証言を否定する論理をつくった。犯行を否認するための言い訳だという論理をつくった。
「原因はともかくとして」と、被告人の認識が争点の公判でその争点の検討をしなかった。原因が争点の公判で、「原因はともかくとして」と言えば、原因の検討をせずに検察の起訴事実を使って判決理由を作文できる。。。と踏んだのだが、その結果、判決文は誰でもわかる【ミス】を記述することになる。そして、それについて騒がれないように、控訴審では「原因」の検討を避け、書類審査の上告審では審議が非公開であることを逆用して「誤認事実」認定の修正をしなくてよくした。誤りを認めないために検察と裁判所が共謀してこの作文事実を司法総掛かりで密室で押し通し、上告審、異議申立とも、「単なる事実誤認の主張であって」の簡単な一文で却下し、確定させた。本公判は、裁判所自らの都合に合わせて偽造した事実を「事実」と認定し、それに基づく判決理由を作文し、その判決理由に基づく判断で実刑にするという、巧妙な本末転倒の自己矛盾の自作自演、被告人の命も被害者の命も不在の論理ゲームとしか言えない。
被告人の事実を事実と認定し、それを根拠にしたならば、作文した判決文の結論にはならない。裁判所は、公判証言によってそれが分かったからこそ、検察の起訴の不当性を証明する事実の検討を避けた。公判で採用された証拠と公判証言から言えるのは「無罪」である。証拠を検討した結果の論理帰結として素直に認めれば、「故意」も「罪の成立」もないから、どうひっくり返しても「実刑」判決の結論にはならない。誰が見ても不当な捏造裁判の模範の極致である。
事実は被告人の証言であって、物証とも合致するから、その事実を歪曲した事実を根拠とした判決に基づいた拘束は、不当拘束、人権侵害である。裁判所の【ミス】などではなく、明らかに裁判所の策謀であり、検察の起訴が誤りであることを認めないための、検察と裁判所が共謀した上での意図的な裁判である。
「裁判所」が事実認定を故意に捏造した。従って、それを認めることになる判断は絶対にしないから、被告人が不当性を訴えても却下する。検察は『裁判所の命令だから』の一点張りで押し通して責任を逃れる。「法律なのだからルールを守れ。ルールに従え。」と言っている当の本人たちは、自らの誤りを認めないために、国家権力の地位を悪用して、ルール無視、ルール違反をあからさまに、故意にしている。間違いを自覚しているからこそ「理由なき強制」を強行する。「ルールだから」が長谷親子解放阻止のための最後の砦であり、その主張を強調し続けるのは、子どもの遊びならばともかく、被告人の命がかかっている裁判の執行における国家の司法機関の主張とは到底認められず、その理由だけを根拠に強制執行に及ぶならば、それは司法、ひいては国家の崩壊を意味する。
裁判所の謀略裁判であるから、裁判所に訴えても「事実誤認隠蔽」の為に却下、棄却し続ける。。。保釈申請時もそうだった。同じ理由である。「逃亡の恐れ、証拠隠滅の恐れ」を理由に。。。今となっては、その理由が当てはまるのは裁判所の方だったということが明らかになった。「証拠隠滅がばれるのを恐れ、逃亡できないから被告人の方を拘束する」。「恐れ」ではなく現行犯である。検察は「裁判所の命令を執行するだけだ。ここで言われてもどうしようもない。」で押し通す。本気になればどうしようもあるのだが、組織の延命を謀っている限りそれはしない。超法規的措置を命令できる立場にある法務大臣を始めとする政治家は、自らの選択が自らの致命傷になった場合を考えて命令を出さない。マスコミ、有識者、国民は長谷に同調したら自らが危ないから傍観、無視。。。検察は、自らのしていることを自覚しているからこそ、逃亡か自殺かテロか。。。を警戒して釘を刺す。すなわち、収監を拒否すれば強制執行することをちらつかせる。
今まさに現在進行形で行われている、捏造裁判の不当判決に基づく収監を強制執行しようとしている想念、自らの生き残りのために長谷親子の訴えを抹殺し続けようとするその力そのものが結理を殺した力。。。。である。そして、被告人の立場から言えば、リーク情報という形でこの裁判の真実が公開された今この時点でも、誰一人としてそのことについては触れず、しかるべき行動を起こさず、無視、傍観、保身を決め込んでいるという事実は、本公判そのものの雛形であり、まさに、現在進行形で長谷親子抹殺の裁判が日本列島という法廷で継続しているということである。国家機関どころか、裁判所、検察の不正を問題視していた日本国民は言うに及ばず、被告人の今の状況を見て見ぬ振りをしている全員が、本公判で被害者とされた長谷結理の現実を生み出した真の被告人である。言い換えれば、被告人以外の全員が同罪、裁判所や検察とグルであることになる。保護責任者遺棄致死どころか、明らかに殺意のある究極の殺人罪であり、結理暗殺の証拠偽造、遺体という証拠の隠滅罪である。一人一人が主犯であるから、共同正犯。本件に対する今現在の態度そのものが、暗黙の故意の共謀の証明である。故に、殺人、証拠偽造、隠滅罪は明白である。そして、今この瞬間も、その「犯行」は継続中であり、逃亡、証拠隠滅の現行犯である。
本公判は、結果として、検察の起訴事実はなく、裁判所の事実偽造があきらかになった。それでもいまだに無視、傍観の態度であるから、再犯の恐れどころか犯行は継続中であり、反省の態度は微塵も無い。検察の論告曰く「社会的な影響は計り知れず、その罪は重大である」。長谷結理暗殺とその証拠隠滅の現行犯は継続中であり、再度の呼出状交付の根拠は、既に立証された「ルール違反の意図的な偽造判決」である。「ルールだから」という根拠はもはや通用しない。
各々、『裁判官曰く「一般人、通常人」の世界』での「長谷結理事件」の真相、本質に立ち返り、自らの行く末を本気で再考せよ。そして、超法規的権限を発動できる立場にある者は、国家の過ちを素直に認めて長谷親子を即刻解放せよ。
以上、被告人の緊急事態並びに司法機関の不正の事実を改めて全国民に訴える。
最後に、本件にかかる「リーク情報」で長谷親子の存在の真実と本公判の不正、証拠偽造、隠滅、捏造の事実を知った上で、この声明(命の声)をも無視する者は、例外なくその責任からは逃れられないことを申し渡して、声明を終わる。
平成23年6月6日 長谷章宏、長谷真由美、長谷結理(結理花)
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※参考:
平成25年9月5日、引受人宛に発信した長谷章宏の手紙(pdf)
2008.4.9(結理の誕生日)公開 ザ+ライト【エクソシストの真実】
ある司教は言う
「悪魔は存在する、戦いに備えよ。」
(2010.11.13付 ニューヨークタイムズ紙)
世界はまだ知らないー
悪魔払いの“真実”
「名乗れ! お前は誰だ!」
それから、8年後。。。
2016.10.22 ペイ・ザ・ゴースト ハロウィンの生贄
「霊(ゴースト)に、償ってくれる?」
「償い続けろ、この怨念が消えるまで」
怨念が解き放たれる
そして。。。
2016.10.28 日米同時公開 インフェルノ
「今こそ、人類再生の時だ」
地獄が解き放たれる
「すべては、お前次第だ」
なぜ今、なのか。。。
2016.10.29 DEAtH NOtE Light up the NEW world
これで、すべてを終わらせる
すべてを終わらせるのは、誰だ。
10.31
ハロウィン
Ttick or Treat!
(2016.10.27 更新)